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#52/ 「100でなければ0」から「0でなければ100」に判定条件を切り替えると前向きになれる話

本コンテンツは、「Nodebaseのコンテンツになりそうな雑談」というテーマでNodebaseチームで雑談をした回の文字起こしです。雑談なので、細かい内容の検証等はしていません。内容に間違いがある可能性はありますので、その辺りご容赦ください。

今回は、カンタさんが「100でなければ0」みたいな思考パターンの人が意外といるな?と気づいたところからの話です。

カンタ : 最近気が付いたことがあって、「100でなければ0」みたいな思考パターンで苦しんでる人多いなって

バルカナ : あー、なんとなくわかる気もしますが、例えばどういうことですか?

カンタ : んー、例えば、サキさん苦手なこととかある?

サキ : あー、最近よく思うのは言語化するとかすごく出来なくてカンタさんとかバルカナさん見ててすごいなーって思ってますね

カンタ : 言語化ね。言語化出来ないって言う人結構いるよね。直近でも何人かから聞いた。

サキ : なるほど

カンタ : でもさ、サキさん今言語でコミュニケーション取れてるよね

サキ : そうですね。言語を喋ってます

カンタ : 言語化出来てるじゃん

サキ : あー、そう言われればそうなんですけど、でもカンタさんとかバルカナさんみたいには全然出来ないですよ

カンタ : もちろんグラデーションの問題だから、出来るか出来ないかの100か0かで捉えること自体が本質的にはナンセンスだなと思うんだけどね

バルカナ : それはそうですね

カンタ : でも、出来るか出来ないかの100/0思考になってる人にそれ言ってもあんま伝わらなくて、そこでふと思ったのが、「100じゃなければ0」を「0でなければ100」に捉え直すだけでだいぶ前向きに取り組めるんじゃないかなと

サキ : どういうことですか??

カンタ : いまさ、サキさんは言語化が苦手というのは、自分の思う100点じゃないから出来ない(0である)っていうのが背景の論理としてあったよね

サキ : 言われてみればそうですね

カンタ : それに対してさ、今言語でコミュニケーションしてる(0でない)から出来る(100である)って捉え方をするとさ、言語化は出来るってなるわけじゃん

サキ : たしかに

バルカナ : なんか騙されてる気がする。笑

カンタ : 語学とかもそうだよね。日本人に英語出来る?って聞いたらほとんどの人が出来ないって答えるよね

サキ : そうですね

カンタ : でもさ、最低でも中高6年間、最近は小学生の頃からやるからみんな10年以上勉強してきてるわけだよね

バルカナ : まぁそうですね

カンタ : でもネイティブスピーカーみたいに流暢に喋れないから英語出来ませんって答える

サキ : そうですね

カンタ : そんなの母語話者じゃなくて日常で使わない生活してりゃ当たり前なわけじゃん

バルカナ : まぁそうですね

カンタ : 体育の時間でしか野球やったことないけど「大谷翔平ほど野球出来ないんで」って謙遜してたら逆に烏滸がましくない?笑

サキ : たしかに

バルカナ : そこと比較するの?って思いますね

カンタ : 英語で言えばさ、This is a penって言われたら理解出来るわけじゃん

サキ : そうですね

カンタ :This is an appleもわかるよね

サキ : はい

カンタ : それを英語が出来るって認知して、そこからもっと出来るようにって捉えた方が気が楽じゃない?

サキ : たしかに。出来ないって思ってるとチャレンジのハードルが高い気がしますね。

カンタ : デザイン出来ないって言ってる人が、デッサンもしたことなければフォトショップもイラストレーターも触ったことないって言ってたら、まずは手を動かそ?って思うよね

サキ : 思いますね

カンタ : 「100でなければ0」思考の人って、そんな感じで入口のハードルを上げまくってるから、「出来る」までの道のりが遠すぎて、挫折したりそもそもチャレンジを避けたりしがちだなと思うんだよね。

サキ : 心当たりはありまくりますね

カンタ : これがさ、車の運転出来ますか?とかだと大体みんな気軽にYesって言えるんだよね

バルカナ : たしかに。

サキ : 私は車の運転に恐怖してるので出来ないと答えたいですね

バルカナ : 笑

カンタ : 普通自動車免許持ってて、公道を走れるくらいの運転技術があればみんな出来ると言ってるわけだよね

バルカナ : そうですね

カンタ : 他の物事、例えば英語でも言語化でも、そのくらいのハードルの低さで出来る判定した方が良いんじゃない?って思ってるんだよね

ルカナ : なるほど。確かに車の運転と英語で、想定してる「出来る」のハードルの高さが全然違う感じしますね

カンタ : なんでそこでハードルの高さ変えるの?って思う

バルカナ : あーでも「英語出来る」って言って、流暢に喋れないと「言ってる割に出来ないじゃん」ってなりますよね

カンタ : なる。それはそれで良くないと思う。けど、まぁ、思われた所でどうでもいいよね。笑

バルカナ : まぁそうなんですけど。笑

カンタ : 本質的にはさ、出来る出来ないの二元論じゃなくて、何がどのくらい出来るのかってグラデーションで表現すればいいんだけどね

サキ : たしかに

カンタ : 公道を普通に走るくらいの運転は出来ます、道を聞かれたらGoogle Map見ながらなんとか道案内出来るくらいの英語は出来ます、とか

サキ : うんうん

カンタ : ただ、その手前に出来る出来ないって100か0かで考えるステップがどうしても挟まるなら、「100でないから0」ではなくて「0でないから100」ってとこをスタート地点にすると、前向きに物事に取り組めるんじゃないかという提案

サキ : たしかに、「出来る」のハードルを上げるとチャレンジそのものをしたくなくなるのはとてもよく分かるので、「0じゃなければ100」の精神で捉えたいなと思いました

カンタ : サキさん、車の運転出来ますか?

サキ : 出来ないです

バルカナ : 笑


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