Logo

#53/ 人類はまだ教育方法の正解を見つけていないかもしれない話。

本コンテンツは、「Nodebaseのコンテンツになりそうな雑談」というテーマでNodebaseチームで雑談をした回の文字起こしです。雑談なので、細かい内容の検証等はしていません。内容に間違いがある可能性はありますので、その辺りご容赦ください。

今回は、すこし「教育システム」について考えてみた回です。

カンタ : この間、息子の小学校関連のイベントで元麹町中学校長の工藤勇一さんって人が来て話してたのを聴いたんだけど

バルカナ : 工藤さんってなんか聞いたことある気がします

カンタ : 『御上先生』ってドラマのモデルになってて監修とかもしてるので最近は有名っぽくて、校長時代も本とか出してて「宿題なし、定期テストなし」とかで話題になってた

サキ : へー、そんな方がいるんですね

カンタ : で、その中で、たしかになーと思った話と、それはどうなんだろうと思った話があって

バルカナ : ほう

カンタ : たしかになーって思った話からいくと、「自主性」と「主体性」は違いますって話をしてて

サキ : 同じと思ってましたけど違うんですね

カンタ : 例えば、「廊下にゴミが落ちていてそれを拾って捨てた子がいた」ってケースを考えたら「自主性があって素晴らしいね」って褒められそうだよね

サキ : はい

カンタ : じゃぁ例えば、みんなが板書をノートに写してる時にノート取らずに黒板を見てるだけの子がいたときに同じように「自主性があって素晴らしいね」ってなりそう?

サキ : ならなそうですね。何やってるのちゃんとノート取ってってなりそうです

カンタ : その子は自分の特性としてノートを取りながら話を聞くことが難しくて集中して聴いて耳からのインプットの方がが記憶として定着出来るというメタ認知をしていて、あえてノートを取っていないかもしれないよね

サキ : なるほど、たしかに。

カンタ : 実際、聴覚優位で耳で聴いた方が頭に入りやすいって人は結構いるらしいんだよね

サキ : そうなんですね

カンタ : ここまで理解しても「自主的にノートを取ってない」と表現すると変な感じしない?

バルカナ : たしかに。正しいはずなのに違和感ありますね。

カンタ : これをさ「主体的にノートを取ってない」と言い換えるとピンとこない?

サキ : ほんとですね

カンタ : 工藤さんの定義によると、自主的というのは「大人の期待すること」を「大人に指示される前にやる」ことだと。

サキ : おー、なるほど。ゴミを拾うのは期待してるけど、ノートを取らないのは期待してないですね。

カンタ :  そうそう。それに対して、主体的というのは「自分の頭で考え」て「自分の行動を決める」ことだと。

バルカナ : ノートを取らないというのは自分の特性をメタ認知して自分で決めてやってないってことですね

サキ : おー。スッキリしますね。

カンタ : で、これまでの日本の教育では「自主性」を育てることはしてきたが「主体性」を育てることはあまりしてこなかったって主張

サキ : なるほど

カンタ : 大きな潮流としては、自主性から主体性にウェイトがシフトしていってる感じは確かにあるなと思った

バルカナ : そうですね。それはどうなんだろうって思った話はどんな話なんですか?

カンタ : 今の話も含めなんだけど、欧米の教育に比べて日本の教育遅れてるみたいな主張が結構されてたんだよね

サキ : ほう。そういう言われ方をしてるのは確かによく聞きますね

カンタ : 例えば、受験勉強一生懸命やってペーパーテストで合否が決まるみたいなことをやってるのは日本と韓国と中国くらいですみたいな主張をしていて

サキ : へーそうなんですね

カンタ : 東アジアの国でペーパーテストの比重が高いのは事実だと思う

サキ : なるほど

カンタ : で、アメリカでは日本で言うAO入試が主で、若いときから社会奉仕活動とかに力を入れている、と

サキ : ほう

カンタ : これもまぁ事実ではある。学校の成績スコアと社会奉仕活動や課外活動が重視されているというのはそうみたい。

サキ : なるほど

カンタ : でもさ、「だから日本が遅れてる」って主張が妥当かと言われたら微妙だなと思っていて

バルカナ : あー

カンタ : 「違い」と「優劣」は別の話だよね

バルカナ : たしかに

カンタ : じゃぁ何を持ってアメリカ型を良しとするのかって話で、例えば、学力で言えば、日本や韓国は上位につけているし、シンガポールやフィンランドとかが常連だよね。アメリカはだいたいの指標で中位くらい。

サキ : ほう

カンタ : 犯罪率みたいな治安でいえば、日本やアイスランド、スイス、シンガポールみたいな国が上位に来る

サキ : なるほど

カンタ : 経済規模や労働生産性はアメリカが確かにとても高いわけだけど、それでいえば中国やインドの成長率も目覚ましいわけで、労働生産性で言えばアイルランドとかノルウェーも非常に高い。

バルカナ : うんうん

カンタ : 少し前から持て囃されてる北欧式も、学力ランキングで言えば低下の傾向にあって、一部では治安の悪化も指摘され始めてたりするみたいなんだよね。

サキ : へーそうなんですね

カンタ : さっき持ち上げられてたAO入試的な制度も、高評価される社会奉仕活動や課外活動にアクセス出来る家庭というのが限られていて、貧富の再生産性を高めて格差の拡大に寄与しているという指摘もされてるんだよね

バルカナ : そういう意味では、日本でも塾に通えるかみたいな家庭環境と受験の有利さみたいなことはあるけど、それでもペーパーテストで巻き返せるみたいなことはありそうですね

カンタ : じゃぁ、日本式がこのままでいいのかっていうと、それはそれで違うなと思ってて

サキ : ほう

カンタ : たしかに経済で見ても労働生産性で見ても学力で見ても治安で見ても、下降傾向にはあるし、人口も減っていく中で貧しくなっていくことはほぼ確定しているという中で、今まで通りのことやってていいということはないよね

バルカナ : そうですね。何か暗い話になりますね

カンタ : 要は、世界中見渡して、どこにもユートピアはなくて、誰も正解に辿り着いてないというのが正しい現状認識だと思うんだよね

サキ : 確かに、いまのお話を聞くとそう思えますね

カンタ : そもそも公教育という概念自体が誕生してまだ300年くらいしか経ってないんだよね。世界的に。

サキ : そうなんですね

カンタ : しかも当時の公教育って、産業革命に対応するために工場労働者を効率よく育てるとか、国民国家の思想のもと徴兵制に対応した国民を育てるとか、そういう国の役に立つ人材を育てるという目的でやってたわけで、今みたいな「人権」を軸にした教育システムってまだ100年も経ってないんだよね

バルカナ : へー、そんなもんなんですね。もっと長いと思ってた。

カンタ : その100年の間にも、日本が高度経済成長期には世界中から日本式教育を学びに視察に来てた時代もあって、アメリカ型だ北欧型だってあっちこっち行ってるわけなんだよね

サキ : へー、そんな時代もあったんですね

カンタ : そう考えると、「教育の正解」って国際的に見ても人類史で見てもまだまだ模索してる段階という捉え方が適切だと思ってて

サキ : 確かにそうですね

カンタ : その中で、例えばアメリカや北欧の特別支援教育(発達に特性がある子への教育)とかは、科学的な知見に基づいてとても先進的な取り組みをしているのも事実としてあるし、日本の教育システムの変わるべきところが変われていないというのも確かにあると思う

バルカナ : なるほど

カンタ : 誰も正解知らないんだから「欧米に比べて遅れてる」みたいな単純な進歩史観的な見方をするんじゃなくて、こういう知見をこう実践したらこうなったという知を冷静に俯瞰して取り入れながら地道に積み重ねていくしかなく

バルカナ : そうですね

カンタ : それは直接教育に関わる関係者だけじゃなくて、いち保護者である自分たちとか、子育て当事者じゃない人たちも含めて、本気で考えて取り組まないといけないと思ってるんだよね

サキ : どういうことですか?

カンタ : Teacher Teacherのお二人とかコミュニティの人たちと関わってる中で、やっぱ教育関係者だけで子育てをしていくのってムズいなって思うんだよね

サキ : ほう

カンタ : 小さな話でいうと親とか先生に言われても受け入れられないけど、マイクラの師匠みたいな大人に言われるとすんなり受け入れられることとかもあったりするよね

バルカナ : あー、自分の思春期とか思い出すとなんか分かります

カンタ : 発達特性と教育みたいな側面で見ても、例えば、ADHDとかASDとかの研究知見って日進月歩で、現場の先生たちが日々最新動向にキャッチアップするとか無理なわけで

サキ : そうなんですね

カンタ : 例えば、脳神経科学の知見とか、染色体みたいな生命科学的な知見がこういう特性に関わってるみたいな発見は常に起きてるし、子供との関わり方についての社会学的な大規模調査のエビデンスとかも色々出てるんだけど

バルカナ : たまにニュースとかで見かけますね

カンタ : そういうのを日々追いながら、今目の前の子との関わり方を最適化しようって、いち親としても無理だなと思うし、それが何十人って集団を見ないといけない先生がやるとかやっぱ無理だよね

サキ : 自分の身に置き換えて考えると無理だなと思います

カンタ : そもそもさ、うちだと子供2人なんだけど、大人2人で子供2人見るだけで無理ゲー感ある中で、先生とか30人とか見てるわけじゃん

バルカナ : すごいことですよね

カンタ : しかも人口減ってて少子化が問題だって言ってるのに、先生の配置とか教育への投資とかって子供1人当たりで計算されるから、総数として増えないし場合によっては減っていくわけだよね

バルカナ : 学校の統廃合とかも最近よく聞くようになりましたね

カンタ : 増やせよ!って思うよね。例えば、先生の数が単純に倍になって給料が倍になるだけで、だいぶ出来ること増えると思うんだよね。

サキ : なるほど、たしかに。

カンタ : 今の教育現場で主体性を育てようにもさ、30人が各々主体性を発揮してる教室を1人とか2人の大人が統制取るって不可能じゃん。

バルカナ : 想像するだけで無理だなと思いますね

カンタ : って、国とか社会に文句言ってるだけでも何も変わらないから、例えばTeacher Teacherの人たちがやってることとか、PTAでも町内の子ども会でも何でも良いんだけど、自分たちが社会の一員として子育てに関わってこの状況を少しでも良くしようってすることすごく大事だなと思ってる、という話

サキ : なるほど。極力PTAとかそういう活動から距離を取って出来るだけ引きこもろうとしてた自分の愚かしさを反省しました。

バルカナ : 笑

カンタ : じゃぁ、サキさん、PTA会長になりましょう

サキ : それはちょっとハードルが高いので、まずは家から外に出るところから頑張りたいと思います

バルカナ : 笑


メタ思考を加速する新しいドキュメンテーションツールNodebase

👉ご利用はこちらから

---Nodebaseは、テキストから簡単にダイアグラムを作成できます。

「📐図解コンテンツ」「📚読書会」「🤝議論の場」「☕️コーチング」など様々な場面でご活用いただけます

📚「見るポッドキャスト」のバックナンバーはこちらからご覧いただけます