#24/ 「対等」って案外難しい
本コンテンツは、「Nodebaseのコンテンツになりそうな雑談」というテーマでNodebaseチームで雑談をした回の文字起こしです。雑談なので、細かい内容の検証等はしていません。内容に間違いがある可能性はありますので、その辺りご容赦ください。
今回は、カンタのツイート掘り下げシリーズ!対等であろうとすること、についてです。
サキ : 今日はカンタさんのこのツイートについて聞きたいんですけど。
他者と対等であろうとすることは、もしかしたらものすごく難しいことなのかもしれない。
カンタ : バズってもないツイートについて解説する羞恥プレイシリーズ、もう慣れてきたよ。
サキ : これ読んだ時に、まあ確かにそうかもしれないけどどういうことなんだろうと思ったんですよね。
カンタ : 対等であろうとすることの難しさって2段階あって。
バルカナ : ほう。
カンタ : まずは他者の置かれた状況を想像することが難しいよねって話。
バルカナ : 一般論としては分かりますけど例えばどういうことですか?
カンタ : 例えば、マイノリティ問題で炎上しがちな話なんだけど、例えば障害のある人が施設側に配慮をお願いしたら酷い扱いを受けたみたいなやつでさ。
バルカナ : あー、よくありますね。
カンタ : それが盛り上がったときによくある反論として、施設側にとってそういう配慮はイレギュラー対応なわけで、イレギュラー対応が発生するなら事前に受け入れてもらえるか確認すべき、みたいな言説が出てくるのね。
サキ : あー、それもそうだなとは思いますね。
カンタ : 障害のない人でも、例えばハンバーガー屋で100人前頼むみたいなイレギュラー対応をお願いする時は事前にネゴするし、断られることだってあるんだから対等だろみたいな。
バルカナ : んー、一見正論っぽくは聞こえるけど、なんかしっくりこないですね。
カンタ : まずさ、例えば車椅子ユーザーにとって、車椅子で出かけるというのは日常だよね。全くイレギュラーではない。
サキ : そうですね。
カンタ : 確かにお店側にとっては、車椅子も100人前のハンバーガーも確かにイレギュラーという意味で同じかもしれないけど、日常的に100人前のハンバーガーを頼む人はあまりいないよね。
バルカナ : 少なくとも私の知ってる範囲ではいないですね。
カンタ : 当事者にとっては代替手段のない日常の行動について、相手にとってイレギュラーだからって常に配慮をお願いしないとままならないって結構なストレスだと思うんだよね。
サキ : 確かに。疲弊しそうですね。
カンタ : 仮にさ、車椅子ユーザーがマジョリティで歩行する人がマイノリティの社会だったと想像してみて欲しいんだけど。
バルカナ : 現実世界と乖離が大きすぎて難しいですね。
カンタ : 例えば、レストランに行ったら多分椅子はないと思うんだよね。
サキ : 確かに!
カンタ : そしたら歩行民は、自分で椅子を持ち運ぶか事前にレストラン側に椅子を用意してもらうか、もしくは立つか中腰か地べたに座って食べることになるよね。
バルカナ : そうなりますね。
カンタ : それが24/365で続くと思うと結構嫌じゃない?
サキ : 嫌ですね。
カンタ : そういう状況なら、予め椅子を数脚用意しといて欲しいなって思いそうじゃん。
サキ : そうだとありがたいなとは思いますね。
カンタ : って愚痴を気軽につぶやくと「感謝が足りない」とか「車椅子ユーザーだってハンバーガー100人前頼むときは事前にネゴするから一緒だ」って怒られたら辛いよね。
バルカナ : 辛いですね。
サキ : 嫌ですね・・・。
カンタ : って、相手の視点で考えて共感するということが対等のスタートラインだと思っていて、その上で、とはいえ建物の構造的に難しいとか人手が足りなくて安全を確保出来ないから受け入れられないってことは現実問題としてあるとは思うのね。
バルカナ : 要求が論理的に正しかったとしても現実的に対応が難しいというのはありますよね。
カンタ : それでもギリギリまで折り合いを付けられる落とし所はないかを建設的に話し合うのが対等な対話であって、2024年4月から義務化された「合理的配慮」の概念だと理解をしてるんだけど
サキ : なるほど。
カンタ : でも、今話したみたいな「相手の置かれてる状況をリアルに想像する」って簡単じゃないよね。
サキ : そうですね。今日話してて確かにそうだなって思いました。
カンタ : そういう話よりもむしろ「私はこんなに我慢をしているのだから、あなたも甘えてないで同じくらい我慢すべきだ」みたいな、私基準の対等を押し付けるような議論の方が盛り上がりがちだよね。さっきのハンバーガー100個理論みたいな。
バルカナ : その方がマジョリティ側からの共感も得やすいですしね。
カンタ : という知的作業としての難しさというのが一点目で。
バルカナ : そうか2つあるって言ってましたね。笑
カンタ : そうそう。2つ目がもうちょっと根源的な話で、このツイートしてるときの念頭にあったケースなんだけど。
バルカナ : ほう。
カンタ : 結論からいうと、構造的なパワーの不均衡がある関係性において「対等である」ということは原理的に可能なのかってことで。
サキ : ???
バルカナ : 何言ってるかよく分からないですね。
カンタ : 例えばこの3人の関係性でいうと自分は経営者で2人は従業員だよね。
サキ : そうですね。
カンタ : 自分は経営者か従業員かって単なる会社における役割の違いでしかないから、その役割の文脈以外では対等であるべきだと思っているんだけど
サキ : そんな感じはしますね。
カンタ : でもさ、経営者の立場からだと従業員と対等に接するか否かという選択肢があるというのが既に対等じゃないんだよね。従業員の側には、基本的にそのチョイスがないでしょ。
バルカナ : あー、経営者側が対等であろうという前提がない状態で、従業員が経営者に対して対等に接しようとすると怒られそうですね。
サキ : なるほど。確かに。
カンタ : つまり経営者にとって従業員と対等であることは「選択可能」な問題になるけど、従業員にとっては「与えられるか否か」というアンコントローラブルな問題になるよね。
バルカナ : ほんとですね。
カンタ : 男性育休とかの議論も似てて、女性は出産をするという構造上、産休は取るよね。
サキ : そうですね。
カンタ : その後、子どもが保育園に入れるまでは育休を取る必要があって、産休は産後8週間までで今だとそこで保育園に預けて職場復帰出来るケースは稀だから育休を取るというのも女性側は「選択」の余地がないよね。
バルカナ : 母親世代とかだと育休って制度が普及してなくて生後2~3ヶ月で預けるか仕事辞めるかしかなかったらしいですけど、今からだと考えられないですね。
サキ : ほんとに。
カンタ : 一方、男性にとっては育休を取るか取らないかという選択があって、取るという選択を男性がした時に、女性側は子どもが保育園に入る前に仕事に復帰するという選択肢が生まれるよね。
バルカナ : うちは夫が結構長めに育休を取れたので早めにフルタイムに戻れましたけど、確かにその前提がなければ難しかったでしょうね。
カンタ : 片方にとっては選択肢があって、もう片方はその選択によってしか自分の行動を決められないという構造は結構色んなとこにあるよね。
サキ : そうですね。
カンタ : それが悪いという話をしているわけではもちろんなくて、そのような構造的な不均衡がある時に「対等である」ということは構造的に不可能なんじゃないかという問いを持って、難しいなーと思ったという話。
バルカナ : んー、確かに難しいですね。
カンタ : あなたは他者と対等に接していますか?とか接した方が良いと思っていますか?って聞かれたら多分ほとんどの人がYesって言うと思うんだよね。
サキ : 少なくとも私はYesと言いますね。
カンタ : でも実際に対等であろうとすると今話したみたいな二重の困難があって、本当に出来てるの?と言われるとちょっと自信なくならない?
サキ : なくなりました。もしかしたら真に対等な関係など存在しないのではないかと思ってきました。笑
カンタ : じゃぁ、対等であろうとすることをやめるか?と言われるとそれも違うよね。
サキ : そうですね。確かに。
カンタ : もしかしたら原理的に実現不可能かもしれないけど、他者と対等でいようとし続けるという事が多分大事なんだろうと思うんだけど、それって難しいよね。
サキ : ないかもしれないのにそれを目指し続けるって大変ですね。
カンタ : ということを考えて、「対等って案外難しいな」と思ったという話
バルカナ : 毎度のことですけどそれを140文字に圧縮するとそれは伝わらないですよね。
カンタ : ほんとにそう。伝えようという気を感じられないよね。
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