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#48/ ツキはあると信じればある。というお話。

本コンテンツは、「Nodebaseのコンテンツになりそうな雑談」というテーマでNodebaseチームで雑談をした回の文字起こしです。雑談なので、細かい内容の検証等はしていません。内容に間違いがある可能性はありますので、その辺りご容赦ください。

今回は、カンタさんのポストから、「ツキ」について考えてみる回です。

サキ : 今日はカンタさんのこのツイートについて話したいんですけど

単なる認知バイアスだろうなと思いつつ、「ツキ」とか「流れ」みたいなものって「確かにある」という感覚を覚えてしまうのが面白いなと思う。(こちらのポスト

カンタ : ツキの話ね。

サキ : はい。私はこれにすごい共感したので話してみたいなーと。

バルカナ : ツキが認知バイアスってどういうことです?

カンタ : 例えばさ、サイコロ振って1が3回連続出たとしたら、次は1が出なそうな感じしない?

サキ : 絶対出ないって思っちゃいますね

カンタ : でもさ、普通のサイコロだとしたら次に1が出る確率も1/6で、これまでの3回と全く変わらないわけだよね

バルカナ : 確かにそうですね

カンタ : でもさ、1/6よりも低い確率を見積もるよね。ほぼ0%だろってくらい。

サキ : めっちゃ分かります

カンタ : 合理的に推論するなら、このサイコロは1が出やすいサイコロかもしれないから、むしろ1が出る確率を高く見積もる方が適切だよね

バルカナ : そう言われてみたらそうですね

カンタ : こんな感じで僕らの直観的な確率って結構アテにならなくて、プロスペクト理論の回の話にもつながるけど、一定度のバイアスがあることがよく知られてるんだよね

サキ : なるほど

カンタ : んで、一般的にツキとか流れみたいなものも、ツイてると思ってるとき自分に都合の良い出来事だけ目についてツイてないと思ってるときは反対に自分に都合の悪い出来事だけ目についてるという確証バイアスが働いてると考えた方が賢明だなとは思ってるんだよね

バルカナ : たしかにそんな気がしますね

カンタ : ということをメタ認知した上で、やっぱりツキとか流れって「ある」と感じてるのが面白いなーって思ったという話なんだよね

バルカナ : ほう。

カンタ : 例えば仕事でも、なんか面白そうな引き合いって結構同じ時期に集中的に来たりするんだよね

バルカナ : あー

カンタ : 3ヶ月ごとに来てくれたら全部出来るのに!ってなる

サキ : めっちゃ分かります。イラストの仕事とかも、来ないときは全く来ないのに、来るときは立て続けに来てお断りせざるを得ないみたいなことになりがちですね。

カンタ : なぜか重なるよね。

サキ : はい

カンタ : こういうのもさ、多分たまたま重なったときの事だけが強く印象に残ってるとかそういう話で、実際に統計取ったらそうでもないってことなんだろうなとは思うんだけど、頭でどう考えるかは別として確かにあると感じるみたいな

サキ : いやほんとそうですね。あると感じてます。

バルカナ : お化けが実際にいるかはさておき、お化けがいると思えばいるように感じるみたいな話ですね

カンタ : そうそう。ちょっと話が逸れるかもしれないんだけど、科学宗教ってよく対立構造で語られるじゃん

バルカナ : そうですね

カンタ : でも有名な物理学者神を信仰してる人とかって結構いたりするんだよね。ニュートンとかもたしかそう。

サキ : へー、そうなんですね

カンタ : 自分たちの感覚では一見矛盾するようにも思うんだけど、科学的に突き詰めることと神への信仰って意外と矛盾しないんだってのが面白くて、それってこの「ツキ」を感じるみたいな話にも通じるのかなーってふと思った

サキ : おー、なるほど?

カンタ : 例えば科学的にコンセンサスが得られている事と聖書の記述との不整合みたいなものは色々とあるよね。分かりやすいやつだとダーウィンの進化論とか。

バルカナ : はい。天動説と地動説とかもそんな感じですよね。

カンタ : そうそう。神学的な観点でこういう科学的事実と聖書の記述にどう折り合いをつけるかはさておき、クリスチャンの方と話してても「神を感じる」みたいな感覚は結構強くあるみたいなんだよね。

サキ : へー

カンタ :理屈でどうとかって話よりも、身体感覚的にどう感じるかというのは多分あって、ツキの存在を感じるというのも似た感覚なのかもなーって思った。

バルカナ : なるほど。神は感じたことないですが、ツキは感じるので何か分かる気がします。

カンタ : ちなみに、「ツイてる」と思ってるときにその具体的事象に対して本当にそうなのかを統計的に検証することは出来るけど、「ツキが存在しない」っていうのは悪魔の証明になるから立証不可能だよね

バルカナ : そうですね

カンタ : でも極論、実際にツキが存在するかどうかもどうでもいいなと思ってて

サキ : ほう

カンタ : 実在しようがしまいが「感じる」という感覚は確かに在るわけで、それが勘違いだとしても認識としては「ある」わけじゃん

バルカナ : あーそうですね

カンタ : 感覚的にあるものをないと意識で塗り替えようとしても難しいと思うんだよね

サキ : なるほど

カンタ : お化けなんかいないと思っても夜の墓場一人で歩くの何か嫌じゃん

サキ : そうですね。怖いですね。

カンタ : その感覚にある程度身を委ねるのも良いと思っていて、例えばツイてると思うときにはしっかりその機会をモノにしようってマインドで接して、ツイてないなと思うときにはしっかり慎重に判断しようとするとしてさ、実害なくない?

バルカナ : たしかに。実害はないですね。

カンタ : ツイてないときにお祓いするとか、運勢を高めるためにスピリチュアルな何かやるとかも、まぁ節度のある範囲では、少なくともその本人の身体感覚としての「ツキ」に良い影響があるなら良いと思うんだよね

サキ : ほう

カンタ : それで運勢が上がったから、前向きに取り組めるってなったら、その前向きに取り組むことによって物事が好転するということは十分にあるわけだし

サキ : ほんとそうですね

カンタ : 人の弱みにつけ込んで搾取しようとか簒奪(さんだつ)しようという目的のスピリチュアルなやつは良くないと思うけどね

バルカナ : それはそうですね

カンタ : というわけで、「ツキ」は勘違いだろうが何だろうが、感じるなら「ある」ということにしとく。あるということにした上で適切な距離感で付き合うというのが大事だなと思った。

サキ : カンタさんみたいな理屈派の人でも「ツキがある」と感じてるのが意外で面白かったです

バルカナ : そんなものはない、勘違いだって否定的なのかなってイメージありますよね

カンタ : 元々はそうだったんだけど、でも「ある」って感じてるなーということとの折り合いがつかなかったのを、最近、あるということにしとけばいっかって思うようになった。

バルカナ : 一周回って皆と同じとこにたどり着くの面白いですね

サキ : じゃぁ私も運勢上げるためにお参りいってきます

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